![]() 北野から立川展望 |
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| とんと昔、その昔、立川の伊藤弁作さんの家は、お金持ちの上に夫婦とも立派な人だったもんで、村の人たちからも信用されとったんじゃと。その子どもらも親に似てええ子じゃったのヨ。そのころの立川は、別子銅山に働きに行く人、とれた銅を運ぶ人らが大勢通り、そりゃにぎやかな村じゃった。別子山の南光院の方丈さんも、そういう人たちに混じって別子山村と新居浜の間を何回となく行き来しよったんヨ。今日も南光院さまは新居浜へ出かけ、用事を済ませて別子山へ帰ろうと、立川を通りかかったが、そこで日が暮れかかり、このまま歩いとったんでは山の中で夜になると思い、ちょうど伊藤弁作さんの家の前だったんで、そこに泊めて貰うことにしたのよ。 弁作さん夫婦は畑に行って留守じゃったが、子どもらが留守番をしながら、風呂をたいとった。 しばらくすると、「方丈さん、お風呂が沸きました。どうぞお入りください。」というので、「おう、おう、そりゃすまんのう。ありがとうよ」と、いって南光院さまが風呂にはいっとると外の風呂焚き場で兄弟の話し声が聞こえての、「兄ちゃんよぉ、このころはどうしたんか山の木が少のうなって、風呂たきの薪とりはしんどいのう。」「うん、北野の山は裸じゃし、明日から、どうするかのう。」「困ったのう、にいちゃんよう。」 そのころ立川では、親がはたらいとるので、ご飯を炊いたり、風呂を沸かしたり、風呂の薪とりは子どもらの仕事じゃッた。丁度そこへ弁作さん夫婦が帰ってきて、「いや、いや、方丈さん留守をしてどうもすみません。」南光院さまは、「いや、いや、今夜はやっかいになりますぞ。それにしても風呂は何よりのご馳走じゃ。それも一番風呂に入れてもろうて、まことにすまんことじゃのう。もう上がるから、お前さんがたもはよう風呂に入っておくれ。」 そうして晩ご飯は立川でよくつくられとる大畑のかぶの漬物と、おいしいサトイモのたいたもので、子どもらもみなそろうて、にぎやかに食べたんよ。南光院さまは久しぶりに弁作さんたちとおうたので、いろいろ話をしたが、明日ははよう別子山村にかえらにゃならんので、「それでは今晩はこれで、はい、みなさん、おやすみなさいよ。」というて、ふとんに横になりました。南光院さまは、いつもと同じ弁作さん夫婦の心からのもてなしと、子どもらの優しさをとてもうれしゅう思いながら「おお、そうじゃ。あの兄弟が心配しとった裸になっとる山のことよのう。こりゃ何とかしてやらんといかんわい。」と、独り言を言いながら寝ました。 その次の日、朝早う南光院さまはお世話になったことを丁寧にお礼をいうて帰っていきましたが、そのあと、子どもらも起きてきて、谷川のきれいな水で顔を洗い、ふと北野の山を見上げてびっくり、「ウワー。こりゃどうしたことじゃ。昨日まで山は裸じゃったのに…」ひと晩のうちに裸の山に雑木がいっぱい茂っとるじゃないの。 だれがこのようにしたんかねー。?不思議なことよのう。南光院さまかいのう。 「ありがたや、ありがたや。」ということヨ。! その北野の山とは、渡る瀬のトンネル付近の山だそうです。 |
![]() 北野周辺 |
![]() 挿し絵:篠原 信二 |