魔戸(まど)の滝 標高:約630m付近
(北緯33°53′33″東経133°19′50″)
愛媛県新居浜市種子川山

新居浜市の南部、国領川の支流・西種子川(にしたねがわ)を高速松山道の高架橋下をくぐり約7km程、谷沿いに林道を遡ると滝の入口に着く。案内板があり土地に伝わる滝の龍王と百姓彦兵衛の娘、お百合との伝説が紹介されている。滝の入口から遊歩道を5分ほど登ると滝の下部に着く。この滝は上、中、下樽の三瀑布で出来ており通常、下樽をさして魔戸の滝と云っているようだ。滝の落差は約40m、年間を通して水量が多く立派な滝である。滝の下から登山道を登ると「石ヶ山丈山」から「西赤石山」へ至る道がありますが今は荒廃して解りにくい上に多くの別れ道があり、よほど備えを整えて行く必要があります。なお、林道をそのまま橋を渡り少し行くと滝を上から見下ろすことができます。

魔戸の滝周辺地図
種子川山周辺地図


新吾屋敷 標高:約320m付近
西種子川林道を約3kmほど登ると、西種子川橋を渡る、ヘアーピンカーブを一つ回り込むと平坦地に出る。ここが新吾屋敷と呼ばれる所だ。西種子川林道が出来るまでは、東種子川の在所より丈ヶ峰を越えて新吾屋敷に通じていた。戦後はタルク(滑石)を採掘していたが鉱脈が尽きて閉山となりました。其の後は帰農組合が払下げを受けて入植し農産物を生産していた。現在は、下の写真のように別荘風の家屋が十数軒建てられている。



現在の新吾屋敷

新吾屋敷の由来
時は、天正後期(西暦1587〜88年頃)、今の角野・泉川・船木地方を治めていた領主は、生子山城の城主松木三河守安村でした。その安村の息子に新吾(幼名:新之丈)がいて、中野城の城主でした。時代は豊臣秀吉が天下統一に邁進しており、四国にも小早川隆景を大将にして攻めて来ました。父の安村は戦に出て行きましたが、新吾は少し病弱であったため戦には行かず中野城を守っていましたが、妻は難を避けて西種子川の上流にある屋敷(新吾屋敷)へ移していました。やがて、生子山城も中野城も落城し、新吾も新吾屋敷の方へ逃れました。ここで新吾は妻や母と静かに暮らしたと伝えられています。・・・・<参考>角野の民話集より


秋の滝
                       春の滝(4月下旬)林道から                                    秋の滝(10月下旬)


夏の滝
夏の滝


冬の滝
冬の滝


百合姫伝説
この地方では昔から滝壺を「樽淵」と呼び、竜王が住んでいたそうです。この淵の水はどんなに日照りが続いても水が枯れることはありませんでした。ところが、ある年のこと、たいへんな日照りが続き、とうとう樽淵の水もなくなりました。さあ大変です。近在の田や畑の作物は枯れてしまいました。ついには、人々の飲み水さえなくなってきたそうです。そして、村人達が集まりあれこれと相談をした挙句に、樽淵の竜王さまに村一番の美しい娘を差し出して、雨を降らして貰おうと云う事になりました。さっそく村で一番美しい娘は誰かということになりましたが、彦兵衛の娘、お百合が一番と決まりました。やがて、お盆の日がやって来ました。お百合が竜王さまに捧げられる日です。お百合は父の彦兵衛や村人に送られ樽淵に行きました。樽淵の青い水の上に立つ竜王さまのそばに並んで立ったお百合はとても美しく神々しい姿でしたが、たちまち深い水の底に姿を消してしまいました。それからしばらくして、今まで晴れていた空が急に黒い雲に覆われ大雨になりました。この雨で田畑の作物や村人達も生き返ったように喜び、お百合に深く感謝をしました。村人達は樽滝に竜王さまを奉り、そのそばに「百合姫大明神」の祠を建て長くお参りをしたと云うことです。・・・・<参考>角野の民話集より

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